予防と健康管理レポート       

「メンタルヘルス 労働」

はじめに今回私がなぜこのキーワードを選んだかというと、ずばり「労働における精神状態の変化」が気になっていたからである。そもそもこの場合「労働」とはなにも仕事(給料をもらって働くこと)だけでなく、学習、運動(スポーツ)、人間関係、ライフイベントなどなんらかのストレスが生じるもののことである。私は現在医学生の3年生であり、要求される学習の量も日に日に多くなり、また部活動も本格的に運営する側となり学生ではあるが、正直日々のライフスケジュールは多忙極まりない状態である。思い返せば高校の大学受験から3年間の浪人生活、そして川崎医科大学に入学から現在に至るまで、常になにかのノルマに追われる毎日を過ごしてきた。これは決して私にだけの特別な「労働」ではなく、老若男女に共通する日々の「労働」があるはずだ。その「労働」はもちろん個人によってばらばらで、ストレスの強さも時と場合で変化する。とくに医療従事者や医学生は近年社会から厳しい目で見られており、求められるものが多くなった。例えば去年私の学年は8人もの休学者が出た。これも学習という「労働」が重すぎて、メンタルヘルスが不安定になった学生がいたためだろう。これはきっと医学生という小さな世界だけじゃなく、家庭、学校、会社などあらゆる集団社会の中で起こっていることであり、近年のうつ、抑うつなど精神病に悩む人、引きこもり、不眠症、アルコール中毒者、ドラック中毒者、自殺など、これらは現実世界を取り巻くあらゆる「労働」から避けようとしたり、忘れようとした結果であると考えられる。これは決して精神的に弱いものだけがなる現象ではなく、誰もがメンタルヘルスになんらかの障害が起きる可能性があるのだ。私はこの問題に非常に深い興味を抱いた。

私は「労働時間と精神負担との関連についての体系的文献レビュー」見て、近年労働環境が精神的、肉体的にもストレスが労働者にかかりうつ、抑うつなどメンタルヘルス不全の増加が指摘されていることを知った。またこれに伴って精神障害等の労災補償に関する請求件数、認定件数ともに著しい増加傾向にあるのだ。そもそも労働者のメンタルヘルスに影響を与える要因は、労働時間・対人関係・職場における支援・報酬など人によって様々であり、平成16年に厚生労働省は「過重労働・メンタルヘルス対策の在り方に関する検討会」報告書を発表し、長時間の時間外労働を行ったことを一つの基準として対象者を選定し、メンタルヘルス面でのチェックを行う仕組みをつくることを推奨した。しかしながら実際のところ労度時間と精神的負担の関連についての科学的確証は十分に得られていないのだ。一方で、労働時間が様々な労働環境要因、職業ストレス要因と関連して労働者の精神負担やメンタルヘルスに多大な影響を与えることは、過去の研究からも合理的に解釈できる。

この論文の調査は労働時間とうつ、抑うつなどの精神的負担との関連を検討した文献の体系的レビューを行い、労働時間と精神負担の関連についての疫学的エビデンスを整理することを目的として行ったものだ。

depressive disorder”“mental health”“over work”“long work”など労働時間、メンタルヘルス、精神負担に関する単語を英語にてPubMedを検索し、ヒットした中から今回の目的にあった文献を、詳細な検討を行って絞り出しこれらを@労働時間に関係する変数を解析に含むもの。A何らかの精神的負担を結果指標として解析したもの。B労働時間と精神的負担の関連を評価した疫学研究であること。の以上の3つの条件を満たすものとした。結果は長時間労働とうつ、抑うつなど精神的負担との関連を検討した論文は17編確認された。

Firth-Cozensはイギリスの新人医師170名を対象に職上場のストレスと精神的負担との関連を断面研究にて検討した。相関分析を行った結果、長時間労働はGHQGeneral Health Questionnaire)およびSymptom Check List Depression Scoreの点数と関連が強く、長時間労働がストレスの最大の要因であったとの結果を報告した。

一方Tyssenらはノルウェーの医学生522人を対象にしたコホート研究を実施し、卒業1年後における研修医の精神的負担を調査した。彼らは週の労働時間と自殺思慮との関連を検討した結果、年齢、性、婚姻状態、ライフイベント、性格的特徴、職業性ストレス、当直時の睡眠時間を統計的に調節した。以上の結果を考慮してTyssenらは長時間労働による精神的影響は認められないと結論つけている。またこれら以外にも研究者が医師や医学生だけでなく、一般市民、工場労働者、会社のサラリーマン、ソフトウェアのエンジニアなど多種多様な職業の労働者を対象とし調査を行っているが、いずれも労働時間とうつ、抑うつなどの精神的負担との関連については一致した結果は見られなかった。

いったいなぜこうも研究結果がはっきり分かれてしまうのか。いくつかの問題点が挙げられる。まず労働時間に関する情報は対象者個人から質問紙または面談にて得られていた。このことは暴露評価に関する情報の妥当性に検討の余地を残す。また、労働時間と精神的負担との関連の検討のために、異なる暴露指標(労働時間に関する指標)が用いられており、研究間の比較を困難にしている。さらに長時間労働の定義も各研究で異なり、研究間の比較は困難である。長時間労働に該当する労働の定義が、雇用契約で規程された労働時間を越えた労働を示す場合と、一定時間を超えた労働(例えば1日8時間を越える労働など)を示す場合がある。いずれの場合においても、どれだけ長時間労働があったかという評価方法は、全体の労働時間を反映する指標ではない。もっというと労働時間と精神的負担の関連を検討する際には、対象集団の背景となる労働時間が関連性の評価に大きな影響を与える。例えば労働時間が増えるほど精神的負担が増えるような線形の関係性を仮定した場合、対象集団の労働時間の分布が狭いと、この関連性は観察されにくくなる。一方、労働時間がある一定の閾値を越えると精神的負担が増えると仮定した場合、対象集団の背景となる労働時間がその閾値以下であれば、関連性を認めることはできない。またこの閾値に関しても職業、企業、地域、上司や部下との人間関係などの文化的・社会的背景によって異なってくると考えられる。したがって労働時間とうつ、抑うつなどの精神的負担との関連性は研究者の考え、長時間労働の定義の曖昧さ、対象者の国籍、宗教、文化、家族、性、年齢、所属の会社や企業の労働環境、研究の方法、などこのうちひとつでも異なれば結果に違いが生じてしまうのは必然である。

私はこのような結果を見て、研究者たちの論文の結果に相違があろうとも、労働が精神状態に良くも悪くも影響があるのは、経験上明らかであると考える。私の場合だと試験が近づくと大きなプレッシャーとストレスを感じるし、夜興奮状態が止まらなくなり不眠症に陥る。私の場合この程度で済むが、人によってはこの不眠症から連続して、過食症や拒食症、うつ、抑うつ状態に陥ってしまうこともある。実際バブル崩壊後の日本の自殺死亡者数、自殺未遂者数は右肩上がりで、3万とも5万とも言われているしこれと同じく、引きこもり数は特に大きく10万とも100万とも言われている。これは決して精神的弱者がこのような状態に陥るのではなく、誰でも起こりうることなのだと思う。特に医療の世界は現在非常に厳しい立場におかれている。厚生労働省が医療費の大幅削減、中堅病院の病床の削減を行ったため、医師は病院離れをし地域医療は崩壊しつつある。また多忙な小児科や産婦人科や救急などでも割に合わないという理由で、医師の数は減り病院で寝泊りし、睡眠時間(熟睡できる時間)はほとんどないという医師も少なくない。医師を苦しめる要因はこれだけでない、医師と患者の医療に関する考え方の齟齬が医師を苦しませる。医師は医療を不確実で時として医療行為が患者を死に至らしめてしまうこともあると考えているが、患者は近年の進化した医療は万能であり、病をたちまちに治してしまうものだと考えている。さらに医師は自分のためにすべてにおいて優先し、奉仕してくれると勘違いしている。このような両者の齟齬が医療裁判を起こす原因となっている。医師からすれば、一回のミスやもしくは不幸な事故や手術後の合併症などで、患者側遺族に訴えられ社会的地位を一瞬で失ってしまう恐れがあるのだ。このような厳しい世間の目で見られている医師は常に高い緊張状態の中仕事をしており、メンタルヘルスは不安定になりやすい。これはもちろん医師だけのはなしではない。政治家、弁護士、企業の社長・官僚、をはじめ常にノルマが課せられているすべての職業に言えることなのだと思う。「失敗は許されない」「守るべき家族がある」「競争に負けられない」など人はときに自らを必要以上に追い込んでしまいがちである。そして自らのキャパシティーを超えてしまった瞬間、精神に以上が生じメンタルヘルスは不全となってしまうのである。器用に生き抜きをしていかないと現代社会は生き抜いていけなくなっているのだ。少子化で労働力が昔以上に求められるようになった時代だから、このように「労働とメンタルヘルス」に問題が生じたのはあるいみ必然で予測できたことだったはず。今私たちは「労働」に対してもう一度見直さなければならない状況に立たされている。ゆとり教育などしている暇があるなら、「労働」にゆとりを与えるべきだ。成人になるまでゆとりのなかで育ったものが、社会に出て今の「労働」に堪えられるはずがない。もっとまじめな人間が得をするような社会であるできだと今回労働時間と精神負担に関する論文を読んで強く感じた。と同時に将来私が医師になっても現在の「労働」に関する世間の考えはおそらくは変わらないだろう、むしろ今より医師が置かれる労働状況は厳しくなるかもしれない。社会や他人のせいにしてばかりではまったく意味がない。どの時代をも強く生き抜いていく覚悟を持って社会に出ることが大事である。私は精神的弱者の気持ちを理解でき、かつ自分は毅然と仕事を全うできる医師になれるようこれから努力していきたい。